Locus 04-05 "istae genialiter"





「こんなに・・・穏やかなのに・・・」





「で・・・どうですか?」
 静希の問いに、祐一は鶏の唐揚げを飲み込んで答えた。
「何がだ?」
 その答に静希は溜息一つ。
「弁当が、です」
「なるほど・・・美味いぞ」
 納得し、頷いて――微笑う。
 先ほどまでの怒った表情はなりを潜め、代わりに嬉しそうな表情を浮かべた。
 他の弁当を持ってきた面々はそれを羨ましそうに見ていたが――
「あの・・・相沢さん。味見、していただけませんか?」
 美汐が口火を切った。
 祐一は美汐の方を少しばかり驚いた様な目で見た後、
「ああ、勿論いいぞ」
 と椎茸の挽肉詰めを口に運んだ。
「うん、天野はこういうのを作るのが上手いな」
「ありがとうございます・・・」
 後は雪崩の様に。
7人の少女は祐一に『自分が作った』弁当を食べさせた。
「相沢、これ」
 と舞がタコさんウインナーを差し出せば、
「相沢くん、食べるわよね?」
「相沢さん、食べてくれますよね?」
 と美坂姉妹が卵焼きを祐一の弁当に乗せる。
「相沢、解ってるわよね!」
「相沢君、感想聞かせて欲しいな・・・」
「うぐぅ、祐一くん・・・」
 と水瀬3姉妹がアスパラベーコン巻きを進めるや、
「はい、あーん」
 と佐祐理が一口ハンバーグを祐一の口元まで運んでいる。
 千早は、と言えば。
 面白そうに見ながら弁当を食べ続けている。
「あれ?御巫さん、加わらないの?」
 と一弥が問えば、
「今日は静希の番だもの」
 短く答える。
「あ、それでか・・・」
 一弥は納得しながらお茶を一口。
「端から見れば羨ましいんだろうけど・・・本人にしてみればちょっとした試練だね」
 苦笑混じりに祐一の方を見た。
「倉田君は羨ましくないの?」
 千早の端的な問いに、
「正直言って少し羨ましいかな?」
 素直に答える。
「あ、でも納得していない訳じゃないよ?僕は――不思議なんだけど、祐一で良かったって思ってる。他の奴だったら多分全力で阻止してた」
 その言葉に対する反応を千早は探した。
 しかし、見つからない。
 ただ沈黙を守るだけ。
「・・・・・・」
「何でだろうね?あいつだったら大丈夫。そんな気がして。っていうか、約束した人が祐一だったんじゃないか、なんて思えるんだ」
 それでも一弥は言葉を続けた。
 かつて――あるいは、未来に――祐一の側にいた8人の少女を護ってきた少年は。
「だから、さ。祐一には――側にいてやって欲しいんだ。出来るだけ、ね」
 そう言って、微笑った。
 千早は。
 ただ――
「うん・・・そうだね・・・」
 頷くことしかできなかった。
 微かな不安。
 湧き上がる焦燥。
 しかし、それらは確かに実在し――
 その原因は――
 祐一にある。
 

「しかしみんな料理上手くなったな・・・」
 祐一は昼を思い出しながら呟いた。
 特にあゆと真琴。
 あの二人は料理など出来ないと思っていたが――
「うーむ、世界が変われば、か?」
 苦笑。
 この世界を望んだのは紛れもない自分自身なのに。
 しかし。
「まだ、安定して・・・いない・・・?」
 それも事実。
 まだ何かが足りない。
 まだ変わりきっていない。
 まだ不完全。
「何が・・・足りない?」
 疑問を言葉にする。
 しかし、答はない。
 見つからない。
 見つからない答は不安を生み、焦燥を育てていく。
「・・・・・・」
 空を見上げる。
 空の蒼が目に染み込んでいく。
 ――ああ。
 ――こんなにも。
 ――穏やかなのに。
 デモソレハヒョウメンダケダ。
「・・・・・・」
 アヤフヤナセカイナノダカラ。
 頭を軽く振る。
 心の中に響く声を振り払うように。
 と。
「あら、祐一さん?」
 懐かしい、声。
 7年前――いや、前の世界、と言うべきか――はよく聞いていた声。
「・・・え?」
 その声の方向には。
「あ・・・きこ・・・さん?」
 そこには、変わらない笑顔を投げかける秋子。
「俺のこと・・・憶えているんですか?」
 思わず言葉になってしまった疑問。
 それにも。
「ええ。それが?」
 秋子の笑みは崩れることはない。
「あ、でも名雪達は憶えていないようでしたね・・・」
 ただ、不思議そうな声音にはなったが。
「祐一さんのこと憶えてるか、と訊いたときも――誰、とか言ってましたし」
 祐一は絶句した。
 そして理解した。
 ――そうか。
 ――同じだ。
 ――あのときの俺と同じだ。
 ――耐えきれない光景に記憶を封印したあのときと。
――結局俺は。
 ――彼女たちを傷つけてしまったんじゃないのか?
 自嘲の笑みが漏れた。
 それも。
 仕方ないこと。
「・・・言わないで、もらえますか?」
 ぽつり、と祐一は呟いた。
「?」
 秋子の疑問。
 それに答えるように、祐一は言葉を続けた。
「あいつらは俺を憶えていない。それはどうしようもないことです。今更教えても・・・混乱させるだけですから」
「祐一さんがそれで良いなら・・・」
 困惑混じりの秋子に。
 祐一は、笑顔を向けた。
 大切なひとたちを彼女が護ってくれたことに。
「それよりも・・・あゆと真琴のことです。
 ――ありがとうございました。あいつらを護ってくれて。
 知ってるんですよね?
 真琴のことも・・・」
「あら・・・そんなことですか・・・」
 秋子は大したことじゃない、と言う風に笑みを浮かべたが――
 すぐに表情が暗くなった。
「でも、祐一さん」
 一度、言葉を切り。
 祐一を見つめる。
「本当は――あの子達も、肉親の側が良いんでしょうね・・・」
 そして苦笑。
 疲れたような、笑み。
「真琴は・・・あの子は、逢えるかも知れませんが・・・」
 7年ぶりの再会に気が、緩んでいたのか。
 祐一ならば信じられる、という心理が働いたのか。
 秋子は――決して言葉にしなかった事を言いかけて――
「あゆちゃんは・・・もう」
「あゆの両親が、どうかしたんですか?」
 口を閉ざした。
「・・・・・・」
 沈黙。
 重い沈黙が支配していた。
「秋子さん。教えて下さい・・・」
 祐一の声は懇願に近い。
 しかし。
「・・・・・・」
 帰るのは沈黙。
「秋子さん!」
 祐一は秋子の肩を掴み、自分の方を向かせた。
 秋子は眼を反らしかけたが――
 祐一の真摯な目に――決心した。
「祐一さん。このことは、誰にも――あゆちゃんにも、誰にも言わないと誓えますか?」
 祐一は即答した。
「・・・誓います」
 秋子がそこまで言う、と言うことは――
 このことは話されるべきではない。
 絶対に。
「なら・・・ちょっと歩きましょう」
 秋子は祐一を促した。
 ある、場所へと。


「ものみの丘、ですか・・・」
「ええ。ここなら人はあまり来ませんし・・・」
 秋子は笑みを鎮め、真面目な表情に切り替え――話し出した。
「・・・あゆちゃんの、ご両親は――月宮政志さんと、美里さんは・・・7年前に亡くなっているんです」
 祐一の反応はない。
 ただ、聞いているだけ。
 秋子は目を閉じ、話を続けた。
「あの日。祐一さんとあゆちゃんが出会った日のことです。お二人は買い物に出かけて、居眠り運転のダンプと衝突して――」
 言葉を一度切る。
 耐えきれない、と言った風に。
「遺体はあまりにも酷い損傷だったそうです。だから・・・あゆちゃんには見せられない、と判断して・・・」
 その次の言葉を遮り、祐一は言葉を紡いだ。
 呻くように。
「だから・・・遠くに行った、と?」
「・・・ええ」
 涙が、出た。
「・・・そっちの方が残酷ですよ。生きていればいつかきっと逢える。そう思うでしょ?」
「・・・・・・」
 秋子の答は沈黙。
 答えるべき言葉が見つからない、と言った風に。
「でも・・・実際には死んでる?叶うことのない願いじゃないですか・・・」
 その言葉は、まるで――
 その判断をした人物を責めているようで。
 でも、そう判断せざるを得なかったことも・・・理解してしまったようで。
「・・・言えませんよ。言えないですよ、そんなこと・・・そんな・・・こと・・・!」
 ただ、泣いた。
「すみません・・・」
 ようやく秋子の口から漏れたのは、謝罪。
 しかし。
「何で秋子さんが謝るんですか?秋子さんは悪くない!」
 祐一はそんな言葉を聞きたい訳じゃなかった。
 責めてしまったのは事実。
 しかし、理解できるのも事実なのだから。
「秋子さんは・・・あいつを護ってくれた。それは紛れもない事実です」
 祐一は自分の思いを漏らした。
「だからそれは――誇って下さい。でないと・・・」
 それ以上は――
「でないと・・・」
 言葉にならない。
 ただ、嗚咽が漏れるだけ。
 風が吹く。
 時が過ぎたことを報せる残酷な風が。
 しかし、紛れもなく未来と進んでいる風が。
 静かに吹き。
 祐一は涙を拭い、秋子を見つめた。
 そして、問う。
「教えてくれますか?秋子さんと・・・あゆのご両親とは、どんな関係だったんですか?」
 まずは、少しだけ気になったこと。
「友達・・・でした・・・。とても、仲の良い・・・」
 そして。
 問いたかったことを。
「・・・最後に、もう一つだけ教えて下さい。あゆを引き取ったのは・・・友人の娘だったからですか?」
 その祐一の問いに秋子は――
「いいえ!」
 激怒した。
「あの子だったから・・・あゆちゃんだったからです・・・!」
 その怒りは――本物だった。
「あゆちゃんだったから・・・真琴だったから・・・!」
 自分の『娘』を侮辱された親のような怒り。
 だから。
 祐一は安心した。
 安心できた。
 そして――
「・・・やっぱり、秋子さんですね」
 微笑った。
 最大限の感謝を込めて。





「ありがとう。本当に・・・ありがとう」





―continuitus―

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