Locus 04-07 "cogitabundus luna/radius"





『其は光
 誘う光
 道を照らせし標の光
 光に従い前へと進め』





 月が照らしていた。
 冴え冴えとした光。
 無慈悲な様でいて、しかしその実慈悲深い光。
 冷たい、しかし優しい光が街を照らしていた。


 御巫千早にとって、月の光は己の半身であると言えた。
 それは、あの世界の記憶。
 紫苑の世界。
 光と闇が混在する世界。
 そして、”彼”が支配する世界。
 そこで千早は聖なる存在だった。
 躍動。
 智慧。
 願い。
 それらを司る存在だった。 
 いつから存在していたのか。
 どの様に生まれたのか。
 その記憶はない。
 しかし、それは今はどうでも良いこと。
 そう、どうでも良いことだ。
 あの世界で出会った存在。
 心を掻き乱し。
 温もりを与えて。
 切なさをもたらし。
 そんな愛しい存在。
 彼――相沢祐一の側にいることが出来る。
 それ故に。
 しかし、何故だろうか。
 焦燥は消えない。
 不安は癒えない。
 千早は迷いを振りきるように目を閉じた。
 ――月はまだ、導くもののままだ。


 水瀬名雪にとって、月の光は縁遠いものだった。
 それは勿論彼女が早く寝ているためだったのだが。
 しかしその日、名雪は窓越しに月を見上げていた。
 眠くならない。
 眠くなれない。
 あの月に光を見ていると、何かが甦るような気がしていた。
 ユメで見た何か。
 それがなんなのか分からない。
 痛みを伴うものであるのは分かっている。
 しかしその痛みが――
 微かなものであるのか。
 激しいものであるのか。
 分からない。
 思い出せない。
 ――思い出せない?どういうこと?
 名雪は自問自答した。
 ――分からない。
 何も、分からない。
 漠然とした不安。それだけがある。
 漠然とした不安の中に浮かぶ光景。
 闇の中、膝を抱えている自分。
 呼びかける声。
 しかし自分はその声に応えない。
 ただ、空虚な存在となっている。
 その後、自分はどうするのか?
 心を開くのか?
 閉ざしたままなのか?
 それ以前に――
 何故、自分は心を閉ざしているのか?
 それが解ったとき――もしくは、思い出せたとき――何かが。 
 決定的な何かが変わる。
 名雪はそんな予感を感じながら目を閉じた。
 ――月はまだ、眠り続けている。


 水瀬あゆにとって、月はある意味親しいものだった。
 それはつまり自分の前の姓が月宮だったということ。
 それだけと言えば、それだけのことなのだが――
 やはりあゆにとって、月宮という名字は捨てられないものである。
 今の『水瀬』という名前が嫌いなわけではない。
 確かに『母』――水瀬秋子は良くしてくれているし、本当の母親だと思っている。
 しかしそれでも――自分は『月宮』あゆなのだ。
 それは変えようのない事実。
 そのことは、しかし絶対言えないことでもある。
 そのことを話せば、『お母さん』――秋子が多分哀しそうな顔になる、と思っているからだ。
 秋子には隠していたが、あゆは自分の両親に何があったかは知っていた。
 図書館で勉強していたとき、何の気無しに過去の新聞を閲覧して――
 知ってしまった。
 あゆは最初は信じられなかった。
 自分の両親が死んでいる。
 しかし。
 何故、自分の周りの人たちは黙っていたのか――
 それは記憶が告げていた。
 水瀬の家に引き取られる前の、親戚達の言葉の断片。
『酷い・・・』
『・・・だから・・・』
『あゆちゃんには・・・』
『・・・見せられない』
 そんな言葉の断片。
 だから理解した。
 周りの人たちは自分を護ろうとして嘘を嘘を吐いていることを。
 だからあゆは――騙され続けている。
 真実を誰かが告げるまで。
 それはいつになるだろうか?
 自問しつつあゆは月を見上げた。
 ――寒。
 あゆは身体を震わせると部屋に入った。
 ふと、思う。
 あの少年――相沢祐一も、あの月を見ているだろうか、と。
 彼を見る度に思う。
 何故自分はここまで彼に心を許すのか、と。
 そして、ユメ。
 夢の中での自分は何でも出来た。
 死に向かう命を救うことも。
 空を飛ぶことも。
 何でも出来た。
 だけど――
 何故、こんなにもあのユメは現実味を帯びているのか?
 ああ、ユメだ・・・とは思う。
 明晰夢。
 確かそんな名前。 
でも、そうじゃないような気がする。
 明らかに一度起きたこと?
 ならば――
 あの、樹は?
 伐られていたあの樹は何なのか?
 ユメだったのか。
 現実なのか。
 それを確かめるために、あの場所へ行こう。
 あゆはそう決心し、目を閉じた。
 ――月はまだ、ユメを見続けている。


 水瀬真琴にとって月は心乱す存在だった。
 何故かは理解している。
 自分の正体も。
 ――妖狐。
 人外の存在。
 何故自分はヒトの姿をとっているのか?
 朧気ながら記憶はある。
 かつて自分は誰かを亡くし、誰かを捜すために力を望んだ。
 その願いは叶えられ、自分はヒトの姿となったのだが――
 通常なら数日と保たないヒトの姿を自分が保ち続けている理由は解らない。
 あるとすれば――あの日消えた誰かが自分に力を与えたのか。
 もしくは完全にカラダを作り替えてしまったのだろう。
 その証拠に――ケモノの姿になることが出来ない。
 あの頃は自由だったのに。
 彼と遊んでいるときはヒトの姿とケモノの姿を行ったり来たり。
 そして家に帰って眠るときはケモノのままで。
 ――彼?
 真琴はその記憶に驚愕した。
 無いはずの記憶?
 しかし無いはずがない記憶でもある。
 しかしそれは記憶なのか?
 その答えに答える者は居ない。
 こんな幻像が浮かびだしたのは――ごく最近。
 一ヶ月ほど前からだろうか。
 そして相沢祐一との出会いのあと、それは顕著となり――
 そして今も。
 関係あるとは思えない。
 しかし――何故か、気になる。
 真琴は軽く頭を振ると目を閉じた。
 ――月はまだ、狂気の誘い手の座を降りてはいない。


 美坂栞にとって、月は丁度良い題材だった。
 彼女の描く絵は一風変わっており、人は誰も一回目はモデルになることを承諾するのだが、二回目からは嫌がってしまう。
 しかし、風景は逃げない。
 そして動かない。
 夜空に浮かぶ月も、栞にとってはお気に入りの題材だった。
 普段は唸りながら絵を描くのだが、その夜は何故かただ月を見ていたかった。
 ――全てを見透かすような光。
 そして浮かぶ、白い光景。
 雪の公園。
 そこでも月が照らしていた。
 現実のものなのか。
 ただのユメなのか。
 記憶なのか。
 妄想なのか。
 それを知る術はない。
 ただ確かなのは、その光景を自分は知っていると言うこと。
 そして、誰かが側にいてくれたこと。
 その誰かと自分はどんな風になったのか?
 分からない。
 知りたい、とは思う。
 しかし知るべきではないとも思う。
 他のことならドラマチックだ、と喜べただろうが――
 このことだけは喜べない。
 何故か、喜べなかった。
 もう一度同じユメを見れば、その続きが分かるだろうか?
 栞はそう期待して目を閉じた。
 ――月はまだ、癒しを司っている。





『我は光
 全き光
 誘い踊り導いて
 汝が道を照らす者』





―continuitus―

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