Locus 05-05 "placidura,urbs ex crepusculum"
「3人で、か・・・」
空が暗くなりかけた頃、祐一たちは商店街に来ていた。
もっとも一緒にいるのは祐一、千早、静希の3人であったが。
祐一の様子がどこかおかしいのが気になったのだろう。
「今日は3人で夕ごはん作ろう!」
と、千早と静希に半ば強引に連れてこられたのだが――
正直、祐一はありがたく思っていた。
不安。
焦燥。
表には出せないが、その様な負の意識が祐一の思考を苛んでいるのは事実だった。
一人になれば――泣き出しそうなほどに。
震えてしまいそうなほどに。
――恐怖故に。
祐一は自分自身が消えることを恐れているわけではない。
自分が消えることにより、笑顔が消えることを恐れていた。
だが、最近では――
消えること。
それ自体に恐怖を感じている。
(覚悟は出来ていると思ってたんだけどな)
と呟いて苦笑。
(どこがだよ。
「覚悟なんて」
全然出来ていないじゃないか、俺は)
(でも――諦めたわけじゃない。諦めきれるわけがない。
もっとも、出来ることと言えばあがくことくらいだけどな)
それでも何もしないよりは――きっと良いはず。
だから。
祐一は――今日は無理だったことを明日、決行するつもりでいた。
つまり、百花屋へ。
実際のところ今日にでも行きたかったのだが、名雪の都合が付かず、結局明日に延ばすことになった。
もっとも、明日――土曜日は運動部にとってはまたとない練習の機会であるが、そこはそれ。
前もって休むというのと当日休むというのとの違いだろう。
名雪の人望、というのもあるかも知れないが。
その分思い切り練習しているんだろうな、と祐一は微笑。
(全く、こんなところは真面目なんだからな、あいつは)
その真面目さが朝に活かされたらどんなに良いだろうか、と思って苦笑。
(とはいえ。
「起きないから名雪」
なのにな)
我ながら酷いこと考えてるなぁ、と更に苦笑。
しかし今日は――これでかえって良かったのかもしれない。
夕方ではそんなに長く一緒にいることは出来ないだろう。
しかし明日は土曜日。
少しでの長い間一緒にいることが出来る。
なら――これで、良かったんじゃないか。
祐一はそう結論し、空を見上げた。
見上げた空の色は――
金色。
藍色。
茜色。
紫色。
それらが渾然一体となっている。
まるであの世界の様に。
黄昏時は逢魔刻。
それは人の心をさらうが故に。
それは人の心を染めるが故に。
祐一は金色の空を見上げて思った。
(なんて、綺麗な空なんだろうか)
微かに甘く切ない感傷を誘う、金色の空に。
(なんて、穏やかな黄昏の街――)
行き交う人の顔は穏やかで、より良い明日を目指している。
その表情に、祐一は我知らず微笑みを浮かべて。
(ずっと、
「張りつめていた」
のが、
「切れて」
しまいそうなくらいに)
穏やかな、街。
ここにいたい。
祐一は、心からそう思った。
――俺は。
――消えたくない。
祐一はそこまで思考して、
「祐一?」
声をかけられて驚いた。
「どした?」
笑って、千早を見る。
すると、千早は心配そうに質問を投げかけた。
「我慢、してたの?」
「どうしてだ?」
さも、不思議そうに。
何故そんなこと考える?
と聞いたら。
静希は――
「だって祐一さん、張りつめていたって・・・」
祐一は驚愕した。
今まで、無理矢理抑えてきた癖が出ていることに。
事実を隠し通すために――
彼女たちを傷つけないために抑えてきた枷が外れていることに。
それは多分――祐一が安らいでしまったからなのだろう。
甘く、しかし辛い安らぎ。
その辛さを表に出すには――あまりにも祐一は強すぎた。
しかし、一人で耐えるほどの強さは――失っている。
それもまた、安らぎ故に。
(中途半端だな)
自嘲しつつ、事実とは違う答を口にする。
「そりゃな。
一人暮らしなんて初めてだし、張りつめもするさ」
そう言って苦笑してみせる。
千早も静希も完全に信用したわけではないだろう。
訝しさを捨て切れていないのが分かる。
それでも、自分たちの踏み込む領域ではない、と判断したのだろう。
誘う様に、2人は先に進んだ。
時折振り返り、祐一が確かにそこにいるのを確かめながら。
そんな2人に笑みを向けながらも、祐一は自覚していた。
このままだと、自分が消えてしまうことも――
約束を破りそうなことも――
口に、出してしまいそうなことを。
そうすると――千早と静希は深く傷ついてしまうだろう。
いや、2人だけでなく――
名雪も。
あゆも。
舞も。
佐祐理も。
真琴も。
美汐も。
香里も。
栞も、傷付けてしまうだろう。
消えた後は記憶の残滓すら残さないにせよ――
祐一が消えるその時まで傷付き続けるだろう。
だから――本当なら離れた方が良いのだろう。
しかし。
それでも。
側に、居たいと。
祐一はそう願ってしまった。
他の誰でもない。
自分のために。
彼を慕っているであろう10人の少女たちのためではなく、あくまでも自分自身のために。
祐一は、願ってしまった。
そんな祐一の心など知らぬげに。
穏やかに。
あまりにも穏やかに、時は過ぎていく――
「これこれ!」
そう言って千早が自分のかごに入れたのは豚肉のブロック。
何を作るか、と思えば。
「豚の角煮〜♪」
解りやすい。
作る予定の料理を口ずさんでいる。
「んー、じゃぁわたしはこれでも」
少し悩んだ後、静希が選んだのは鮭の切り身。
その他かごに入っているのはアスパラガスに豆腐、むきえび。
謎である。
何を作ろうとしているのか、判別出来ない。
別々の料理にするかも知れない。
混ぜ合わせるかも知れない。
その予想が付かない。
対する祐一は、といえば。
「う。じゃぁ俺はさっぱりと」
トマトとモッツァレラチーズ、バジルをかごに放り込んで。
(うーん、
「オリーブオイルと岩塩」
買っておくかなぁ?)
と、売り場に向かいかけたところで千早が呼び止めて、
「あ、オリーブオイルだけど。エクストラバージンならあたし持ってるよ。
岩塩は静希が持ってるし」
まさしく思考を占めていた食材の名を出す。
「・・・俺の心を読むな」
抗議するも、
「言葉に出てましたよ?」
指摘されて。
「・・・ぐあ」
祐一は呻いた。
しばし、悩みを忘れて。
不安を遠のけて。
恐怖を断ち切って。
穏やかに。
穏やかに。
穏やかに黄昏は過ぎゆく。
「参ったな・・・」
―continuitus―
solvo Locus 05-06 "quietus,luna nocturnus"
moveo Locus 05-04 "celeber,fremitus ex post meridiem"