Locus 05-09 "jurare,orbis universus"





「・・・はは。言っちまった」





『・・・あなたはバカですか?』
 祐一の言葉に、妖の女王は呆れた様に――あるいは哀しそうにこう言った。
『・・・バカだよ、祐一!』
『君はバカか?』
『なんてバカなことを・・・』
 続いて妖狐たちも口々に祐一を非難。
「バカバカ言わないでほしいんだけどなぁ・・・」
 それに対して祐一は苦笑し、幸耶は祐一に激昂した。
『こういうのをバカと言わないでどーすんのよっ!』
 祐一の首に手を伸ばし、思い切り振り回していた幸耶。
 このまま放っておいたら魂抜けますねぇ、と和葉はぼんやりと考えて。
 久遠は呆気にとられてただ見ていたが。
 魁利はさすがに我が娘の狂態に耐えかねたのか、
『・・・幸耶』
 短く名を呼んだ。
 しかし幸耶は止まらない。
『バカバカバカバカバカバカバカバカ、大バカぁぁぁっ!』
 前後左右上下斜めと振り回している。
 さすがに拙いですね、と和葉は判断。
 素早く――この人のどこにこんな素早さが潜んでいたのか、と自分の目を疑うほどの速度で和葉は幸耶の後ろに回り、
『えい』
 と掛け声と見た目はあくまでも軽い、しかし極悪非道な一撃を幸耶の後頭部に食らわせた。
 これには幸耶もさすがに正気に戻り、
『・・・あ』
 と自分の手の中のモノを見る。
 そこにいたのは失神し、魂が半分抜けている祐一の姿。
『え、えと・・・』
 まさかそこらにうち捨てるわけにもいかず、慌てている幸耶に久遠は大きな溜息を一つ。
『・・・魁利、和葉。幸耶を宜しくお願いします』
 心得た、とばかりに魁利と和葉は幸耶を左右から掴み、ずるずると引きずっていった。
 しかし当の幸耶は全く納得していない様子で、
『あっ!何すんのよとーさんかーさん!あたしまだ祐一に言いたいことがっ!』
 と叫んでいたが、その叫びも遠のき、消えていった頃――
「・・・う。何だか途轍もなく酷い目にあったような?」
 祐一、復活。
 そのことに久遠は安堵の吐息。
 そしてすぐさま真面目な顔に戻って――
『祐一さん。あなたは――』
 祐一を見据えた。
『あなたは莫迦です・・・本当に』
 そこで久遠は言葉を止めた。
 そしてあまりにも優しい苦笑を浮かべ、久遠はその言葉を口にした。
『しかし――その莫迦さ加減に免じて――力を貸しましょう』
 妖の長としての言葉を。
『私たちは――あなたの力となりましょう。
 たとえあなたの存在が消えても、あなたの願いを叶えましょう』
 その言葉は、祐一に心強く響いた。
 しかし。
『ただ――門は開かれた時に支配されます。
 だから今、門が開いても――』
「あまり意味はない、ってことか――」
 僅かに落胆。
『その通りです。
 精神のみの存在になれば時の鎖から解き放たれますから――もしあなたが望むなら、あなたを7年前に送る為の力を集めておきましょう。
 そして、門を開き、門を開くための仮初めの身体もこの地に準備しておきましょう』
 その落胆も、すぐに払拭されたが。
「なら――答は決まってます。
 俺が俺の世界から消えたら――お願いします」
 その言葉は――祐一にとって、”自分の存在を完全に消す”ことを意味していた。
 つまり、自分と引き替えに真琴の家族を人間にすることを。
 その決意に――久遠は哀しそうな顔を見せた。そして問う。
『でも、耐えられますか?本当に消えても良いと思っていますか?』
 祐一は即答し。
「当然でしょう」
 そして久遠は――
『嘘ですね』
 断定した。
「・・・・・・」
『あなたは最初は消えても良いと思っていた。
 でも、今は――本当は、消えたくないと思い始めている』
 久遠の断定に、祐一は反論しなかった。
「・・・・・」
 否。反論出来なかった。
『この世界にいたい。
 あの子達と離れたくない。
 何故消えなきゃいけないんだ』
 目を伏せ、何かに耐える様に――久遠は言葉を続けていく。
『あなたは、そう思っている』
 見透かされている。
 それを理解した祐一は――ようやく、認めて。
「ええ、そうです。消えたくない。俺も本当は消えたくないですよ」
 その、自分自身の言葉が――祐一の精神のたがを外した。
 ずっと抑えてきた感情が――表面に出てきて。
「結局――消えるために戻って来たってか?
 ――冗談じゃない。
 冗談じゃないぞ!
 何で――
 何でっ!」
 叫ぶ。
「消えたくない!
 消えたく・・・ない・・・」
 泣きながら。
「でも――
 あいつらの笑顔が消えるのは――もっと、嫌だ」
 しかし。
「でも・・・」
 決意。
「俺の、存在の全てを賭けて――!」
 祈り。
「あいつらのための。
 あいつらが本当に望む世界を――俺は、勝ち取る」
 それらに支えられて。
 ――祐一は語った。
「一緒にいたい。
 あいつらと、一緒にいたい。
 それは俺の偽らざる本音です。
 でも・・・それ以上に・・・
 俺は――あいつらに笑っていて欲しいんですよ」
 そして微笑った――僅かに涙を残した顔で。
「だから――耐えられます」
 微笑っていた。
「耐えられるんですよ――」
『あなたは――』
 久遠は何か言いたげな顔をして――我慢した。
 我慢して。
『分かりました――
 あなたがそこまで決めているのならば――
 あなたがそこまで覚悟しているならば――
 もう、何も言うことはありません。
 もう、止めることは出来ません。
 私たちはあなたの力となることを誓いましょう』
 微笑みを作って、久遠は告げた。
 そして少しだけ名残惜しそうに空を見上げて。
『・・・そろそろ、あなたの世界に帰るべき時が来たようです。
 ――門を、開きましょう』
 腕を軽く振って門を、開いた。
「ありがとう――久遠さん。
 何もお返し出来ないけど――本当に、ありがとう」
 その祐一の言葉に久遠は少しだけ驚いた様な表情を見せ、そしてすぐに微笑んだ。
 懐かしむ様に。
 愛おしむ様に。
 微笑い。
 告げた。
『じゃ、祐一くん。また、ね?』
 そう言った久遠は、あの頃と同じ笑顔で――
 祐一が久遠を呼び止める前に門は開き、閉ざされた。
 気付けば――人間の世界。
「・・・・・・」
 祐一は無言で街を見下ろした。
 あの街の中、10人の少女たちは何も知らないまま眠り続けているのだろう。
 祐一と久遠たちとの会話も、祐一がこれから辿る道も、何もかも。
 知らないまま、眠り続けているのだろう。
 そんな少女達に――
「あと、どれくらいかかるか分からないけど――」
 祐一は優しい笑顔で。
「お前らが、ずっと、ずっと笑ってられる世界を――」
 微かに、涙の残る笑顔で。
「絶対、創るから」
 痛みを、隠した笑顔で。
「だから――」
 全てを慈しむ笑顔で。
「今はまだ、気付かないでくれな?」
 祈るように。
「気付いてても、気付かない振り――しててくれな?」
 語りかけた。
 祐一は薄紫の空の下、目覚めの時を迎えつつある華音の街並みを、ずっと見つめ続けていた。





「綺麗な・・・・街、だよな・・・」





―continuitus―

solvo Locus 06-01"mane,nec variatio,at"

moveo Locus 05-08 "regina monstrum,rediculus placide"