Locus 06-01 "mane,nec variatio,at"





「――朝、か・・・」





 空が明るんでいく。
 祐一は光が世界を満たすまで、ものみの丘から街を見下ろしていた。
「消えたく・・・ないな・・・」
 呟き、気付く。
「・・・泣いてる、のか?俺は」
 ――涙に。
「耐えなきゃ」
 恐怖に、耐えなければならない。
 いつ消えてしまうのか、という恐怖。
 二度と逢えなくなる、という恐怖に。
 しかし――
 もう、残された時間はないだろう。
 だから何とか耐えられるという――皮肉。
 自嘲めいた笑いが、思わず漏れていた。
「どうしようもないな、俺は」
 独りごち、祐一は立ち上がった。
 もうそろそろ、千早や静希も起き出す頃だろう、と。
 ところが、部屋に戻った祐一が見たのは既に着替え終わった千早と静希だった。
「あれ?千早も静希も早いな。もう着替えたのか?」
 呑気に声をかけたなら。
「祐一さん、どこに行ってたんですか?」
 開口一番、静希はやや怒りながらこう言った。
「ん?散歩」
 やや後ずさりながら、それでも答えて。
「呑気すぎるっ!今何時だと思ってるの?」
 更に千早に怒られて、もう一歩後ずさる。
「7時だろ?」
 と言ってみる。
「8時ですよ」
 短く答える静希。
「・・・何?」
 まさか、と笑った祐一に、千早は時計を突きつけて。
「だから8時回ってるの!」
「早くしないと遅刻しちゃいますよ?」
 2人で怒った。
「わ、悪い!すぐ着替える!」
 そして祐一は慌てて自分の部屋に入り、クローゼットに手を伸ばそうとしたが――
「・・・え?」
 掴めない。
「そっか・・・」
 理解してしまう。
「限界、なんだな・・・」
 泣き笑いの表情で、より強く身の回りのものを意識。無理矢理”縁”を造り出し、制服を身に纏う。
 そうして鏡に映した表情は――
「・・・あ。駄目だな、こんなツラじゃ」
 今にも泣き出しそうな顔。
 笑え、と念じる。
「簡単なことだろ?いつもの様に――」
 在るか無しかの笑み。
 しかし、どこかに傷がある。
「・・・朝飯食えなかったのを幸運とするべきかな?」
 ――こんな顔をしている言い訳になるから。


「祐一。何その顔は」
 やはり出てきた予想通りの言葉に、祐一は微苦笑を浮かべた。
「・・・朝飯、喰う暇無いなぁって」
 殊更に情けない顔をして見せて、肩を落としてみる。
 本当のことを覆い隠すために。
「いつまでも散歩してるのが悪いんです」
「あーあ、せっかく朝ご飯作ったのに」
 その試みは――恐らく、成功。
 2人とも苦笑と共に口にしたのは文句。
 だから――祐一はまだ、笑えた。
「う・・・すまん」
 と、冗談交じりで謝ることが出来た。
 そんな祐一を千早は少し恨みがましそうに見上げて、
「・・・今度はちゃんと食べてね?約束だよ?」
 と。
「ああ」
 祐一は頷き、千早の頭を撫でて。
 千早は猫の様に眼を細めた。
 千早の機嫌が直ったのを確認して、
「んじゃ、行くか!」
 疾走開始。
 しようとしたのだが、静希は立ち止まったまま。
「どうした、静希?」
 振り向き、問い掛けたところ。
 静希の答は
「・・・ずるい」
 という、短い言葉。
 祐一は苦笑して、
「少しだけだぞ?」
 静希の頭を撫でて。
 そしてようやく疾走開始。


 3人が疾走していると、前の方に同じように疾走している一団があった。
 女生徒8名、男子生徒1名。
 こんな状態の連中といったら決まっている。
 祐一は少しペースをあげ、男子生徒の肩を叩いた。
「よ、一弥」
「ああ、祐一か」
 挨拶しあうが、足は止まっていない。
 走り続けている。
「・・・まさかとは思うけど。いつもこう?」
 その慣れた雰囲気に、思わず千早が問えば。
「うーん、いつもこうじゃないよ?」
 と一弥は苦笑。
 いつもはこうじゃない、というその意味を、千早と静希は今日は寝坊、といった意味に受け取りかけていたのだが。
「今日はいつもより早いよ〜」
 ぽんにゃりと名雪。
 呑気な口調だが、走り続けている。
 この一団の疾走の現況がそこにいた。
「何、を、呑気にっ!」
 文句さえ途切れ途切れなのは香里。
 どうやら瞬発力はともかく持続力はないらしい。
「きっぱりと名雪のせい」
 半眼で名雪を睨みながらこう言ったのは舞。
 走りながらも口調がしっかりしている上、息切れもしていない辺りはさすがと言うべきか。
 そして更に突っ込みチョップを入れている。
 これぞまさしく芸。
「う〜。ひょっとして酷いこと言ってる?」
 少しばかり拗ねた口調、上目遣いになっているが通用する相手はここにはいない。
「あはは〜でも事実ですよね」
 にこにこと佐祐理。
 その言葉には容赦はない。
 そもそも走っていることを感じさせないくらい自然なトーン。
 なかなか謎が深い。
「お願いだから巻き込まないで欲しいな、とつくづく思います」
 溜息をつきつつこう言ったのは美汐。
 走りながら肩をすくめている。
「・・・・・・」
 黙り込んでいるのは栞。
 それでも何とかついて行っている辺り、なかなかしぶとい。
「あう〜、もうちょっとのんびり行きたい」
 こう言いながらも全く疲れた風情がないのは真琴。
 さすがは野生の底力、というべきか。
「でも走るのは楽しいよねっ!」
 そして、誰よりも元気そうなのはあゆ。
 しかし。
「う〜。そう言ってくれるのはあゆちゃんだけだよ〜」
「毎日毎日は遠慮したいけど」
 正直。
 その結果、名雪は
「う〜」
 と落ち込んでいる。
 しかしここで止まったら遅刻するから――走っている。
「う〜、う〜」
 唸りながら。
 その様子に祐一は自分が笑っていることを自覚して――安心した。
 それで心が緩んでしまったのか。
(笑えている・・・)
         「俺」
          (はまだ、笑えている)
 言葉が漏れそうになり――それを無理矢理抑える。
 同時に一瞬――縁が解けかけて。
 世界を強く意識し、自分を繋ぎ止めた。
 ――まだ、その時じゃないから。
 その様子を怪訝に思ったのは舞。
「ん?相沢、どうしたの?」
 問い掛けてきて。
 祐一は哀しそうに目を伏せて、重々しく告げた。
「俺、朝飯食えなかった上に宿題忘れたんだ」
「朝ご飯は純粋に祐一が呑気に散歩してるからでしょ!」
 すぐさま千早の言葉が飛んだ。
「じゃぁ千早は宿題したのか?」
 その問いは訊いては行けなかったものだったようで、
「う」
 と呻いたまま、千早はいきなり黙り込んだ。
 どうやら昨日は結局寝てしまったらしい。
「私は、しましたけど」
 と余裕げなのは静希。
 昨日、あの後起きていてしっかりやったらしい。
「・・・静希。見せてくれ」
「・・・静希。見せてよね」
 祐一と千早のお願いに、
「仕方ないですね・・・ただし」
 静希は苦笑して。
「祐一さんが撫で撫でしてくれたら見せてあげます」
 交換条件を静かに告げた。
「ん。そんなことで良いなら幾らでも撫でてやるぞ」
 言いながら祐一は静希の頭に手を伸ばし、一撫で二撫で。
 ――もちろん、走ったままで。
 静希はしばし考えて。
「・・・走りながら撫でるのは止めて欲しいんですけど」
「じゃぁ、教室に着いてから撫でることにするか」
 祐一、承諾。
「そうしてくれると嬉しいです」
 静希はとても嬉しそうな顔を見せ。
「・・・う。あたしもやっておけば良かった」
 千早は少し悔しそうな顔で。
「うぐぅ、ボクも宿題忘れた・・・」
「あう、真琴も・・・どうしよう?」
 一瞬羨ましそうな表情になったものの、祐一の言葉により忘れたかったことを思い出し、あゆと真琴は慌ててみせて。
「・・・仕方ないわね」
「仕方ないですね」
 宿題をやってきたのは良いものの、方やクラスが違い、方や学年すら違う。見せるに見せることが出来ず、香里と美汐は溜息一つ。あゆと真琴に貸しを作った。
「あはは〜、舞は宿題大丈夫?」
 明るい佐祐理の問い掛けに、
「・・・佐祐理は細かい」
 舞は視線を逸らし、
「見せてくれるとかなり助かるんだけど」
 小さな声で呟いた。
 どうやら恥ずかしがっている様で、顔がほんのり赤くなっている。
 そして栞は、と言えば――
「・・・・・・」
 言葉を発することさえ出来ず、ただ黙々と。
 話したいけど話す方に振り分ける体力が無く、他の面々を恨めしそうに見ている。
 そして、彼らの疾走の現況となっている名雪は、といえば――
「う〜、う〜、う〜」
 宿題をしていなかったことに気が付いて、
 あゆのように頼み込むことも出来ず、
 祐一と話すに話せず、
 ただただ唸るだけだった。





「・・・まだ、笑えているよな?」





―continuitus―

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