Locus 06-03 "et iste,in sol occidens"





「みんな・・・」





 百花屋を出、空を見上げれば赤い光が満ちていた。
 ――夕焼け。
 血を思わせる、紅の中。
 祐一は自分の身体の違和感が明確な形となっているのを感じていた。
 心臓を掴まれたような、重い感覚。
 自分が消えてしまいそうな不安感。
 身体が少し熱く、思考に纏まりが無くなりつつある。
 そして自分の中の何かが暴走しようとしている気配。
 それらから思い出されるのは――彼女達の、死の原因。
「因果応報、か」
 思わず呟く。
 怪訝そうな少女たちに、何でもないと笑って思考を再開。
 祐一は理解してしまっていた。
 死の運命は消えたわけではない。その運命をねじ曲げた存在――祐一に、反動として返ってきていることを。
 つまり、8人の少女たちの死の引き金となった幾つかの死。
 そのうち4つが祐一を蝕んでいる。
 それでもまだ死に至っていないのは強き意志故か、それとも不安定な存在の故か。
”彼”の気紛れがまだ続いているのか、あるいはそれとも久遠の助けか。
 いずれにせよ、改変すべき死の運命が一つ、近付いていることを祐一は認識していた。
 つまり――秋子の、死。
(交通事故かぁ。無茶苦茶痛そうだけど。でも・・・これで・・・とりあえず、あいつらが泣くことはなくなるか)
 苦笑する。
 そう。僅かな間、確かに彼女達は嘆き悲しむだろう。
 しかし、あの異界で妖の女王が告げたように――過去で、為すべき事を成し、世界を変えたら――祐一の存在は消える。
 この世界だけではなく、この世界の対である異界に刻まれた”相沢祐一”の記憶をも代償にするのだから――絶対なる死を迎える。
 そうすれば世界は相沢祐一を忘れ、彼女達も当然相沢祐一を忘れる。
 そうすれば、嘆き悲しむその意味すら無くなり、笑っていられるはず。
 分かっていても、行動するには――足りない。
 恐怖が、残っている。
 完全に消えることに対する恐怖は決して消えない。
 だから今日。
 その恐怖に対抗するための、笑顔を記憶に刻むために。
 祐一は、10人の少女たちを誘った。
(結局、自分のため、か)
 空の紅が、瞳に痛い。
 恐怖が、満ちる。
 その恐怖を砕き、祐一を正気に戻したのは――少女たちの声。
「ねぇねぇ、またみんなで来れたらいいねっ!」
 嬉しそうな、楽しそうなあゆの声。
 何も気付かない風に。
「あのね、あゆ。相沢君は一人暮らしなのよ?そうそう奢れるわけ無いじゃない」
 苦笑しながら、香里。
 そう言いつつも小さな声で、
「でも、そうね。また行けたらいいわね」
 と呟いていた。
 あゆは祐一に笑顔を向けて、
「解ってるよ。ただ、一緒に行きたいだけだよ」
 本心を、告げて。
「そうだよ。あたし達でもそこまで無茶は言わないよ。
 ただ一緒にいたいだけだもん」
 名雪も、あゆに追随。
「・・・イチゴサンデーを8杯も食べた名雪さんがそれを言うのですか?」
 名雪に美汐が突っ込んで、
「そうですよ、金額で言えば名雪さんがトップです」
 更に栞が追撃するが、
「あはは、その次は栞さんですねー。で、真琴さん、あゆさんと続いて舞」
「・・・えぅ」
 佐祐理に寄って撃墜された。
「あう、だって肉まん美味しかったんだもの」
 わたわたと慌てて、真琴。
 ――ちなみに真琴が祐一に、肉まんを一つ食べさせていた。
 一緒に、同じものを食べたかったのだろう。
「うぐぅ、鯛焼きも美味しかったよ」
 あゆも同様に祐一に、鯛焼きは焼きたてが一番、と食べさせていた。
「牛丼・・・美味しかった。今度は相沢も一緒に」
 少し残念そうなのは舞。
 丼ものばかりは分けるわけにはいかず、結局一人で食べたのだが――やはり一緒に食べたかったのだろう。
 少し赤くなった舞の頭を撫でつつ、
「そうだなぁ・・・機会があれば、な」
 苦笑。
 しかし、本当の奇跡でも起こらない限り、次の機会は――無い。
「祐一?」
「祐一さん?」
 何かに気付いてしまったのか。
 千早と静希の声は、どこか不安そうで。
「・・・何だ?」
 ためらいつつ、問いただせば――
「舞さんばかりずるい!あたしも撫でて欲しいな」
「そうです。わたしだって撫でて欲しいです」
 そうなれば当然のように。
「・・・あ、相沢くんが撫でたいと言うのならあたしは構わないわよ?」
 そっぽを向きつつ、しかし赤くなりながら香里。
「あ、香里狡いよ!わたしだって相沢君に頭撫でて欲しいんだよ?」
 眠気がすっ飛んだような表情で、名雪――要するに寝ていたわけではあるが。
「相沢さん、私の頭はお姉ちゃんよりも撫で心地いいと思いますよ?」
 にこにこと、香里を見ながらも栞。――一瞬火花が散ったのはご愛敬だろうか。
「仕方ないわね!相沢、真琴の頭を撫でさせてあげるわよっ!」
 偉そうに、しかし照れながら真琴。早く撫でてよーと、目は語っている。
「うぐぅ、ボクも祐一くんに頭撫でて欲しいな・・・」
 少しばかり涙目で、羨ましそうにあゆ。かなり素直だったりする。
「あはは〜、佐祐理だって撫でて欲しいですよ〜。舞だけなんて酷いです」
 笑いながら、しかし舞と代わって欲しそうに佐祐理。
「相沢先輩、私の頭は撫でて頂けないのですか?」
 そして上目遣いで、美汐。涙が少し滲んでいる。
 そんな9人の少女たちの期待の視線を受け、
「祐一、大変だとは思うけど。諦めが肝心だよ?」
 生暖かい一弥の声援を受け、
「ああもぉ、解ったよ!」
 結局祐一は少女たちの頭を撫で始めた。
 少女たちの温もりを、手に――そして心と魂に刻み込むように。
 優しく。
 優しく。


 そして祐一はやり遂げた。
「か、かなり疲れた・・・」
 さすがに小一時間も頭を撫でるのは疲れたのだろう、手首を回しながら、祐一。
「じゃぁ祐一、次は夕ご飯の準備だね」
「今日も一緒に作りましょうね?」
 千早と、静希の申し出が――祐一は少し嬉しくて、少し痛かった。
「あ。私も行きますよ、ね、お姉ちゃん?」
「そうね・・・弁当のこともあるし」
 栞と香里は弁当をネタに動向を表明。
「私は・・・夕ご飯のおかずを頼まれていますから」
 美汐も同行決定。
「あ、佐祐理は今日は舞のお家にお呼ばれなんです。一緒に夕ご飯作るんですよ〜」
「・・・佐祐理、何にする?」
 佐祐理の言葉に一瞬怪訝そうな顔をして、すぐさま乗ってきた舞。
 もうちょっと一緒にいたい、という感情がありありと見える。
「あう、しまった・・・どうしようあゆあゆ?」
「うぐぅ、あゆあゆじゃないってば。・・・どうしよう名雪さん?」
「うー、夕ご飯はお母さんが作っちゃってるし、お弁当のおかずも買ってきてるだろうし・・・」
 困っている水瀬3姉妹に祐一は笑顔を向けて。
「理由がないとついて来ちゃ駄目なんて事無いんだぞ?」
 その言葉に、一番早く反応したのは真琴。
「あ、相沢。礼は言わないわよ!真琴はただ単に暇なだけなんだからねっ!」
「祐一くん、じゃぁご一緒するねっ!」
「相沢君、じゃあわたしたちもついて行くね!」
 途端に元気になる水瀬3姉妹に、祐一は苦笑。
 不安感を押さえ込んで――
「じゃ、行くか?」
 10人の少女たちに笑顔を見せる。
 しかし――
 笑いながらも、笑顔を見ながらも、祐一の視界を紅が浸食していた。
 死の気配と恐怖が、蝕んでいき――狂気に支配され、暴れそうになる。
 消えたくない、と。
 何で俺が、と。
 ――オマエラサエイナケレバ、オレハイキテイラレタノニ
 と。
 憎悪に支配されそうになる。
 しかし、憎悪と同じだけ――否。
 憎悪よりも遙かに強い、感情があるのも事実だった。
 救いとなっていたのは、幸せそうな笑顔。
 楽しそうな笑い声。
 だから、狂気を押さえ込むことが出来ている。
 微笑いながら会話をすることが出来ている。
 紅い狂気と視界に浸食されながらも、平静を保っていられる。
 あと、僅かな時間だろうが――彼女達に、刃のような言葉を浴びせずに澄んでいる。
(まだ、大丈夫・・・)
 自覚する。
(でも、それももう少し)
 その時が。
(だって、ほら)
 近付いていることを。
(秋子さんが、いるから)
 もう終わりだと言うことを。 
 過去。
 もしくは未来。
 伝え聞いた時と同じように、夕暮れの中。
 秋子が、商店街にいた。
 ――秋子が、倒れた時と全く同じシチュエーション。
 夕食の買い物帰り。
 夕日の中。
 歩道に1人。 
 ブティックの前。
 違うのは、季節。
 そして、そこに祐一達が居たこと。
 秋子は呼びかける自分の娘達の声に気付き、立ち止まって――
 祐一達の方を向いた。
 目が合い、秋子は軽く微笑む。
 まるで、家族に向けるように。
 だから、祐一も微笑う。
 過去を、懐かしむように。
 ――やがて来るその時を予感して、覚悟を決めて。
 そんな、暖かな。
 優しい、しかし哀しい光景を打ち砕いたのは――あのときと同じ音。
 つまり、アスファルトとブレーキがあげるヒステリックな泣き声。
 その声の元は、過積載のトラック。
 変形したタイヤは破裂し、トラックはバランスを崩して――暴虐の化身となった。
 そして響き渡る、少女たちの悲鳴。
 悲鳴が聞こえた時には、祐一は既に駆け出していた。
 気力を――否、存在を振り絞り、駆ける。
「相沢さん!?」
「相沢ぁっ!」
「相沢君!」
「相沢くん!」
「祐一くん!」
「相沢先輩!」
「相沢!」
「相沢さんっ!」
「祐一!」
「祐一さん!」
 少女達の声を背に、人の範疇を超えた速度で駆け抜けて。
 秋子を安全な方向へ突き飛ばし。
 やがて来る破壊から秋子が離れていることをに安堵して。
 祐一は心から――微笑った。
 そして彼女達の――
「いやあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 絶望の叫びが夕空に響くと同時に――
 彼女たちの視界に映る祐一の姿を、トラックが奪った。





「俺、約束守れなかったな・・・」





―continuitus―

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