Locus 06-05 "in universus ex monstrum"





「ここは・・・変わらないんだな・・・」





 門の向こうに待っていたのは、金色にも見える短い髪を風に微かになびかせた少女だった。
『や』
「うげ、幸耶」
 すなわち、幸耶。
 祐一は先日の記憶のせいか、一歩下がって警戒態勢。
『何身構えてるのかな?』
 怪訝そうに訊く幸耶。
「いや、また殴られるかなと」
 よせばいいのに口にしてしまう祐一に、
『殴らないわよっ!』
「とか言いつつ殴るなっ!」
 無意識なのかどうなのか、幸耶は踏み込んで寸打を打ち込んでいた。
 ――もっとも、祐一は避けていたが。
『あ』
「あ、じゃないだろうが・・・
 まったく、姉妹揃って同じようなことしやがって」
 文句を言いつつも――
「まずは、ただいま・・・かな?」
 微笑う。
『あ・・・うん、お帰り』
 毒気を抜かれてもごもごと呟く幸耶。
 そして、幸耶を押しのけて――
『祐一、お久しぶりです』
『まさかとは思うけど、オレのこと忘れてるんじゃないだろうな?』
 どこか聞き覚えがある様な、そんな声に祐一はこめかみに指を当て、30秒ほど考えて。
「ああ・・・思い出した。更紗と・・・相馬」
 記憶の底から引っ張り上げる様な口調で、祐一。
『酷いなぁ、本当に忘れてやがった』
 と、呆れた様な黒髪・紅眼の鬼――相馬に、
「いや、ちょい前にここに来た時には思い出してたぞ?」
 爽やかに、それは爽やかに答えた。
『では、さっきの間は何なのですか、祐一?』
 そして文字通りこめかみから角を生やしている更紗――竜神の裔――に、
「演出だ」
 と渋く語る。
 対する2人の反応は、と言えば――
『そんな演出要りません』
『更紗に同感・・・変わらないなぁ、祐一』
 と素っ気ないもので。
「はは・・・誉め言葉と受け取っておくよ」
 祐一も苦笑を漏らすしかなかった。



 穏やかに時は流れ、何事もなく旅立ちの時は近付いていた。
 何もなく、離れることが出来るはずだった。
 それを壊したのは――何気ない、何の他意もない幸耶の質問。
『この世界で暮らせないの?』
 その問いに、短く答える。
「ごめん。それは・・・無理だ」
 もしそう出来たらいいだろう、と思いながらも。
 でも、頷くことは出来なかった。
 その祐一の答えに。
『あの子たちのために、ですね』
 冷たく。
『わたしはあの子たちのこと赦せないと思います。
 祐一がどんな思いでここにいるのか、知らないあの子たちのこと。
 祐一のことあっさりと忘れたあの子たちのこと、赦せないと思います』
 冷ややかに。
 竜神の本性そのままに、更紗。
 恐らく彼女が本気で力を振るえば、雷光は雨の如く降り注ぎ、華音の街を焦がすだろう。
 だが、彼女が人間のことが好きだったこと。
 しかしそれよりも、それをしたら自分こそが祐一に嫌われること。
 そして、祐一がそれを望んでいないこと。
 それを更紗は恐れていた。
 それ故に更紗は力を振るわない。
 それは相馬も同じこと。
 それが解っていてもなお、彼女達が力を振るうことがないと理解していてもなお、祐一は弁解をした。
「・・・いいんだ、それは。
 忘れてくれてないと、俺が・・・辛いんだよ。
 それに、久遠さんの力だ。抵抗するなんて出来るわけ無いだろう?」
 だが、それこそが――祐一が、納得した風なことこそが更紗達の怒りを呼んだ。
「・・・あいつらが俺のことを忘れたのは、仕方なかったんだ」
 仕方なかった。
 諦観の言葉。
 全てを諦めた言葉に――更紗は激昂した。
『何が仕方ないのですか?あっさりと納得しないで下さい!』
そして、幸耶も。
『それだけじゃない!祐一を犠牲に、世界を変える?駄目だよ、そんなの!
 そんなことされても、あたし嬉しくない!あの子だって・・・真琴だって喜ばない!』
 相馬も。
『間違ってる!そんなの間違ってるぞ!』
 だが――祐一も、言い返していた。
 まるで子供の喧嘩の様に。
「いいんだよ!世界を変えるのは、俺の願いなんだよ!そのためには、俺の世界だけじゃなくてこの世界に刻まれた存在の証も代償にしなきゃいけないんだから・・・仕方ないんだよ!」
 その決意に――その諦観に。
 幸耶も。
 更紗も。
 相馬も、息を詰まらせた。
『ねぇ・・もう、いいじゃないですか。
 これ以上何を望むのですか?もう、あの子たちは充分幸せじゃないですか。
 もう・・・これ以上、祐一が不幸になる必要は無いじゃないですか。
 これ以上、祐一が自分を犠牲にする必要は無いじゃないですか!』
 泣きながら、更紗。
 溢れる涙をそのままに、祐一に抱きついている。
 祐一はその頬に手を伸ばし、金の瞳から流れる涙を優しく拭った。
「違う・・・」
 哀しそうな顔で。
「違うんだ、更紗・・・。これはあいつらのためなんかじゃない。俺のためなんだ。これは俺の贖罪なんだ。俺は元の世界で、誰も助けられなかった。助けを求める手を支えきれなかったんだよ、俺は・・・」
 まるで、贖罪を求める罪人の様に。
「それが”彼”の気紛れで・・・運命を改変することは出来て。これで大丈夫だって思った。
 でも、違ったんだ。まだ、変わりきっていなかった。不安定な俺がいたせいで、世界は軋みを上げていた。
 あのままじゃ、せっかく出来た世界が崩れていた。それに・・・確かに今だけ見れば、俺はあいつらを救えた様に思える。
 でも・・・変わりないんだ。俺があいつらを救えなかったことには変わりないんだ。だから・・・」
 息を吐く。
 何かに耐えかねたかの様に。
 そして、疲れた様な表情で。
「俺は・・・俺の全存在をかけて、変えなきゃいけない。
 でも、それもこれも全部・・・
 ・・・結局、自己満足なんだ。
 あいつらの意志なんか、関係ない・・・自己満足なんだよ。
 でも・・・出来るだけのことをしたいんだよ。
 あいつらに笑ってて欲しいっていう、俺の願いのために、さ。
 だから頼む・・・あいつらのこと、悪く言わないでくれ・・・」
 懇願する様に、告げた。
 だから。
『・・・分かった。もう、止めない』
 更紗も、もう何も言えなくなった。
 それは幸耶も。
 相馬も。
 久遠も、同じ事。
 何ももう、言えなかった。
 だが、確かめるべき事が一つ。
 相馬は重く、振り絞る様に――訊いた。
『あの、さ。何で、祐一なんだ?』
 それに対する祐一の答えは、あまりにもあっけらかんとしたもの。
「さぁ・・・たまたま、だろ。
 たまたま俺がこの世界に迷い込んだ。
 たまたま俺が”彼”の気紛れで時を巻き戻された。
 それだけのことだ」
 だから、幸耶はつい問いを投げかけていた。
『納得、してるの?』
 その問いに祐一は苦笑。
「してるって言ったら嘘になるけど・・・
 してないって言っても嘘になるな」
 そして3人を見つめながら――
 本音を、呟いた。
「本当はさ、このまま過去に行ってたら・・・
 俺、駄目だったと思う。
 多分、何も変えられないまま消えちゃってたと思う。
 辛いんだよ、本当は。
 あいつらの誰もが俺のこと憶えてないってのは。
 だから、嬉しかった。
 俺のこと、憶えてくれてる奴らがいるのって嬉しかった。
 俺、さ。
 あの頃さ、楽しかったんだよ。ほんの数日だったけど。
 一緒に遊んで、転がり回って。
 人とか、妖とか関係無しに。
 本当に、楽しかった。
 本当に楽しかったから、本当にお前たちがいてくれたのが、お前たちが俺のこと憶えていてくれたのが嬉しかったから、俺・・・やれる。
 俺が消えるのにも耐えられる。
 ・・・自分勝手だよな、俺。
 俺自身を消すために、お前たちを利用してるんだから。
 お前たちの心を利用してるんだから」
 そこまで言い切り、目を伏せる。
 涙は流れない。
 流したら、未練になる。
 未練は足枷となる。
 足枷は、きっと心を鈍らせる。
 だから、祐一は涙を流さなかった――否、流せなかった。





「泣けや・・・しないよな」





―continuitus―

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