Locus 06-06 "foris ad res nova"





「――心が・・・痛い・・・」





 もうこれ以上、彼らといるのは――祐一には辛かった。
 だから。
「ああ・・・そろそろ、時間みたいだ。
 ほら、門が――開くみたいだ。
 行こう、幸耶」
 魁利と和葉が姿を見せたのは、祐一にとって救いにも思えた。
 だから祐一は久遠に頷き、幸耶を促した。
 そこで。
『お前は・・・酷い奴だな』
 相馬の、台詞。
「済まない・・・」
 ただ、それだけしか答えられない。
『お前は本当に酷い奴だ』
 しかし、その口調は祐一を責める様なものではない。
 呆れた様な、バカなことをしでかそうとする友人を送る様な、そんな声。
『でも憶えてろ?オレは――オレ達の誰も、お前のことは忘れないぞ?』
 ――信頼のこもった、そんな声だった。
「・・・・・・」
 だが――いや、だからこそ何も言えない。
『それと多分・・・向こうの世界の奴らもな。お前のことは、忘れないぞ?』
「・・・・・・」
 祐一は何も答えられなかった。
 答える代わりに、願う様に――
 ここにいる者と、ここにいない者に聞かせる様に。
 問い掛けた。
 叶わないだろう願い。
 やがて消える約束。
 それでもなお、願わずにはいられなかった。
 何かを言葉にせずにはいられなかった。
「まぁ、俺が”本当に”消えた時点で無意味になっちまうんだけど。
 ――存在すら消えてしまうんだろうけど。
 もしも、さ。生まれ変わりとかが本当にあって。それが赦されるなら――今度は、もっと遊ぼうな?」
 その言葉に、最初に反応したのは幸耶。
『祐一。お願いがあるの。消える、とか言わないで。だって・・・もしも、もしもだよ?”縁”をつなぎ止めることが出来たら――』
 願いを託す様に。
 だが、祐一の答えは沈黙。
 そうあったらいい、そうできたらいいと思いながらも、しかし祐一は沈黙のまま。
『もっともっと強い”縁”を結べたなら――!』
 懇願する様に。
 可能性を求めて。
 だから、久遠は――
『・・・そうですね。祐一さん。
 あなたが願いを叶えて、それで消えてしまって・・・
 それでも、私たちが・・・いえ。私たちと、あの子たちが祐一さんのこと、憶えてたら・・・
 あなたの存在を癒しうるほど、私たちの想いが強いならば――』
 可能性でしかないが、あり得ることを告げた。
『あなたは、戻ってくることが出来るかもしれません』
 しかしその響きはまるで祈る様なもの。
『え・・・久遠、様・・・それは・・・本当ですか?』
 だから更紗の問いかけにも、久遠はこうとしか答えられなかった。
『確率的には・・・絶望的に低いでしょう。でも、0じゃ無いはずです。
 私が言うのも何ですけど・・・きっと、何とかなるはずです。
 いえ・・・なんとか・・・ならなきゃいけません』
 祈りとか。
『私たちと、あの子たちの想いは・・・きっと祐一さんを返してくれます』
 願いとか。
『そう・・・信じます』
 久遠の声には、そう言った方が良いほどの響きがあって。
 だが、更紗と幸耶にはそれで充分だった。
『祐一。もし、縁が消えずに残っていたならば・・・』
『祐一の存在が、欠片であろうとも残っていたならば・・・』
『帰って、来れますよね?』
『そうだったら、また、逢えるよね?』
 可能性があるのだから。
 望みはあるのだから。
 それがたとえどんなに低いものであっても、叶うかも、しれないのだから。
「分からない。それさえも、分からない」
 祐一もそれが解ったから、こう言いながらも――
「でも・・・そうだな。そうだったら・・・いいな」
 微笑った。
『それが聞けたら十分だよ』
『私は・・・私たちは、忘れてなんてあげません。
 思い通りになってなってあげません』
『帰ってこなかったら・・・子々孫々まで祟るぞ』
 だから、幸耶も更紗も、相馬も微笑えた。
 ただ、信じて。
 ただ、信じることしかできなかったから。
 表面は明るく、しかしその実儚い、語らい。
 それに耐えかねたのは久遠。
 壊れそうな、しかしその会話故に持ち直している祐一の姿に耐えきれず。
『――その時が、来ました。
 祐一さん。幸耶。行きましょう』
 門を開いた。
 魁利と和葉は黙ったままでいる。
 更紗達の時間を奪わないために。
 ただ、黙って見守っている。
 ――悲痛な目で。
 祐一はその視線に気付き、ただ黙って微笑んだ。
 その微笑みに、誰も何かを言いたいけど、何も言えなくなる。
 何故微笑えるのか。
 何故そこまでするのか。
 なぜ。
 何故。
 ナゼ。
 湧き上がってくるのは、取り留めもない疑問。
 それを訊くことに、もはや意味はないだろう。
 ――祐一の答えは分かり切っているのだから。
 だから、相馬達は別のことを口にした。
『祐一!俺たちはお前が帰ってくるって信じてる!』
 それは信頼の言葉。
『だから・・・あたし達はさよならなんて、言わない』
 それは誓約の言葉。
『その代わりに、こう言って送ってやる!』
 涙を見せず、ただ微笑って。
『行ってらっしゃい』
 だから――
「ああ・・・行ってくる」
 最後に、祐一は微笑った。
 でも、これ以上残ることは出来ないから。
 意志を振り絞り、きびすを返して。
 開かれた門を前に、一瞬だけ立ち止まって。
 全てを振り切る様に、回廊へ足を踏み出した。
 一歩。
 また一歩。
 振り向かず、立ち止まることもなく。
 ただ、前へと進んでいく。
 ――胸を張って。
 その後を追い、何かに耐える様に久遠。
 そして、微かに肩を震わせながら幸耶。
 その方を支えながらも、動揺を隠しきれない魁利と和葉。
 やがて彼らの背中は光と闇に滲んで――
 その背中に、更紗と相馬が声を掛けようとした時に、唐突に門は閉ざされて――
 消えた。
 それが引き金となり、更紗と相馬は駆け寄った。
 別に明確な目的があったわけではない。
 強いて言えば、祐一の名残を感じたかった。
 そのために更紗と相馬が駆け寄った、場所。
 ほんの数瞬前まで門があったその場所。
 その、一歩手前。
 祐一が立ち止まったその場所に、ただ一滴。
 一滴だけの涙の跡。
 それで――堰が切れた。
「祐一の・・・バカ・・・!」
「あのバカ・・・我慢してんじゃねぇよ!」
 その涙の意味に気付かずにいられるほどには、更紗達は愚かではなかった。
 祐一も、消えたくないということ。
 未練を残していること。
 それでもなお、千早や静希だけじゃなく、更紗や幸耶、久遠たちも笑っていることを願っていること。
 そして慟哭が満ち、思慕は響き。
 それでもなお、信じる心は失われることはなく――



 祐一は黙り込んだままの久遠達と共に回廊を抜け、やがてその地に至った。
 降り立った地は――華音。
 これまでいた妖たちの華音ではなく、人間たちの華音。
 ここでも感じる。
 あの華音で相馬が、更紗が。
 そして隣で久遠が、幸耶が。
 あの華音で出会ったひと達が、自分のことを想ってくれているのを。
 想いが流れ込んでいるのを、感じる。
 想いが自分を支えているのを感じる。
「縁、か――」
 空に伸ばし、広げた手。
 指の隙間から見える空が、眩しく思えて――
 誰にも見えず、そして誰にも見せられない涙が零れた。





「その、ためにも――!」





―continuitus―

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