Locus 06-09 "consecare in mundus,spons ex variatio"
「あとは・・・幸耶たち、か」
『ここにいるのは・・・誰?何故私はここにいる?』
自分の呟きの意味を理解して、久遠は戦慄した。
一瞬、目の前の少年が誰なのか、認識出来なくなったために。
祐一は消える。
そのことを知っていなければ、久遠は祐一のことを忘れていただろう。
そう。
久遠は祐一の存在が消えることを知っていたが故に祐一を忘れないでいる。
しかし、いずれはその記憶は消える。
その時がいつになるか、それは分からない。
今すぐかも知れない。
祐一が消えてから、しばらくは残っているかも知れない。
それがいつになるかは分からない。
せめて少しでも、祐一のことを憶えていたい。
だから、久遠は目を逸らさない。
3人の人影。
微かに揺らぎ、景色が透けている。
それは彼らが狭間にいるが故。
『彼らは今・・・人と妖の中間にいます。
後は人としての運命を世界に刻むだけ』
久遠はそう言って祐一を見た。
祐一は久遠の視線を受け止め、そして幸耶たちの方を向いて
「じゃ、始めようか」
と。
まるで映画を見ようかとか、なんでもないことをするかの様な口調で言った。
その心の中には強い苦悩と狂気を抱えつつ。
しかし負の感情を、遙かに強い祈りと希望で封じつつ。
戻る気はない。
そんな意志が伝わってくる。
『もう、途中で止めることは出来ないんだね』
幸耶の問いにも、祐一はただああ、とだけ答えた。
そして久遠に向き直り、告げた。
「久遠さん、そろそろ。
幸耶たちを人間に変えよう・・・覚悟は、出来たから」
『その作業自体は問題ないです。もう、調律は終わってますから』
目を向ければ、小学生ほどに見える幸耶と、若い姿の魁利と和葉がそこにいた。
『外見年齢の調整さえなければもうちょっと楽だったのですけどね。
あの子――真琴が知っている姿じゃなくなりますから』
戸惑った祐一に、久遠はそう説明した。
「なるほど、ね」
『祐一さん。
この子たちは人としての身体を得ました。ですが、足りないものがあります。
・・・人としての運命。人として存在するための、世界の記憶』
久遠の言葉の意味。
つまり、幸耶たち既に人としての身体を得ている。
しかし、まだ不十分。
そのままだと、和葉と魁利は異界に還るだけで済むが、幸耶は存在出来なくなる可能性が大きい。
故に、もとから人界の存在だったという情報を世界に刻み込まなければならない。
だが、それには代償が必要となる。
存在は等価なのだ。ただ、無いものをあるものにしてしまうほど困難ではないが。
だがしかし、それで間違いなく祐一の存在は無くなる。
壊れるのではない。
無かったことになるのだ。
しかし祐一は躊躇わないだろう。
自分が消えることを知ってなお。
だから、幸耶は僅かな戸惑いのあと、祐一に語りかけた。
「祐一。あたしは人間になったこと自体は嬉しいよ。
だって、あたしが傷付けちゃった美汐にもう一度会えるんだから」
泣きそうになるのを我慢して。
「美汐が苦しんでいるのを、助けてあげられるんだから」
笑いながら。
「でもね、祐一。あたし、ありがとうなんて言わないからね。
今度逢った時のために、仕舞っておくから」
「・・・ああ」
「だからお願い。
ちゃんとお礼、言わせてね。きっと」
約束を、交わした。
幸耶に応えて微笑った祐一に。
「君は・・・バカだな」
溜息の様に、魁利。
その声に込められているのは感嘆。
「あなたはそれで良かったの?」
吐息の様に、和葉。
その声に込められているのは哀惜。
祐一は、
「良かったと思う。
だってこれで、真琴は本当の家族と一緒に暮らせるんだから」
その、迷いのない言葉。
あまりにも儚い言葉に。
「でもそれって自分勝手だよ。自分だけ犠牲になればいいなんて、そのくせ笑っててくれなんて。
・・・酷いよ、それ」
泣き出しそうな声で、幸耶。
「・・・ごめん。でも、俺は」
祐一は言葉を続けようとして。
『いや、本当に酷いと思うぞ』
『酷すぎるのも程があります』
遮られた。
振り向けば、腕組みして頷いている鬼族の少年と心持ち祐一を睨んでいる竜族の少女。
――相馬と、更紗だった。
「・・・おい」
『何?』
「何でお前らがここにいる?」
相馬はその問いには答えず、
『祐一』
祐一に近付いて、
『おらぁっ!』
いきなり殴りつけた。
「いきなり何する!?」
祐一の抗議に相馬は笑った。
『悔しいだろ、殴られて』
「そりゃ・・・な」
『殴り返したいだろ』
「まぁな」
その、真意は。
『よし、これでお前は俺に会わなきゃ行けなくなった』
「は?」
『殴らせてやるよ。今度会えたら好きなだけな』
――確約を得るため。
「?」
――縁を、強くするため。
『ま、そういうことだ』
「バカ野郎・・・格好付けてんじゃねぇよ・・・」
俯き、祐一は呟いた。
だが、相馬が失念していたことが一つある。
「だけどな、相馬」
『あん?』
「お前がそういうことすると・・・」
「じゃぁあたしもっ!」
幸耶の回し蹴り。
『ではわたしも』
更紗の正拳。
『私も殴っておきましょう』
久遠の平手。
「あなた、私たちも」
和葉の肘打。
「ああ、そうだな」
そして魁利のかかと落とし。
祐一は五連撃で殴られて、かなりボロボロになった。
むく、と起きて
「ほらこうなる」
ジト目で相馬を見る。
相馬は明後日の方を向き、
『あー。悪い』
一言。
祐一は苦笑して、
「全部終わったら思い切り殴ってやるから憶えてやがれ」
相馬に応えた。
『絶対忘れてやらねぇよ』
そして祐一たちは笑いあった。
「更紗・・・」
『来ちゃいました、祐一』
たおやかに、更紗は祐一に微笑いかけた。
「何でまた。久遠さんとかならともかく、無茶苦茶力要るんだろうに」
呆れた様に、苦笑を漏らしながら祐一。
「大体、お前らって力使いすぎたら拙いんじゃないか?それなのに」
言葉を続けようとした祐一を遮り、更紗。
『竜族の姫を馬鹿にして貰ったら困ります』
微かに、笑みを浮かべて。
「竜族の姫・・・ああ、そういえば更紗はそうだったな」
祐一はああそう言えば、と言った表情。
そんな祐一を更紗は少し嬉しそうに見つめ、問いを投げかけた。
『祐一らしいですね。・・・でも、祐一は怖くないのですか?子供の頃ならともかく、今なら解りますでしょう?私たちは祐一たち人間から見たら化け物と言ってもいいのですよ?』
その問いを言い終えた更紗が浮かべた表情は、明確な恐怖。
拒絶されたら?
そんな想いが表れている。
それは幸耶や久遠も同様だった。
だが、祐一の答えは。
「何言ってるんだ?更紗は更紗だろ?」
何を訊いているんだ、と言った表情で、そんな言葉。
更紗はそれが嬉しかった。
『・・・こんなところが、祐一なのですね・・・』
俯き、
『だから・・・わたしは・・・』
呟く。誰にも聞こえない声で。
そして顔を上げて。
『ここに来たのはですね。祐一に最後に逢うのは私でいたいですし、もしも奇跡が起こったら最初に逢うのも私でいたいからです』
済ました顔で、更紗。
先ほどまでの翳りなどどこにも見えない表情で。
「・・・・・・」
応えることが出来ない祐一に、更紗は語気を強めた。
『祐一、わたしは赦しません。
わたしがさよならと言うことを赦しません。
あなたがさよならと言うことを赦しません。
あなたが諦めることを赦しません。
わたしは信じてます。きっと会えるって、信じてます』
そして祐一に抱きついて。
少しだけ、泣いた。
「大丈夫だって、必ず還るなんて約束は・・・出来ない。
・・・・・・すまない」
顔を俯けて、祐一。
その言葉に、更紗は絶望と怒りの表情を見せた。
しかし祐一は更紗のそんな表情を顔を上げて見つめ、言葉を続けた。
「消えるのは仕方ないことだ。そうしなきゃ俺の願いは叶わないんだから。
だからって、諦めたわけでもないんだ。
俺の心の欠片くらいは残って、いつか生まれ変われるんじゃないか、って。
その時の俺は、今の俺とは違うかもしれないけど。
だから、俺に約束出来るのは――」
そして祐一は一度口を閉じ、自分の心を確かめる様に。
「最後まで諦めないこと。
再会を信じること
それは、約束出来る」
告げて。
「それで・・・」
ポケットに手を突っ込み、それを差し出した。
「あいつら・・・千早や静希にも渡した、これを。
更紗たちにも、持っていて欲しい」
差し出されたのは、おもちゃの指輪。
そして言葉を紡いでいく。
「・・・あいつらに指輪を渡したのは、足掻きだった。
でも、同時に誓いだったんだ。
足掻きってのは・・・もしかしたら、これが命綱になるんじゃないかって。
そう思って。
――結局、駄目だったけどさ」
そして祐一が浮かべた表情は苦笑。
しかし、優しい苦笑。
「結局、俺があいつらに渡した指輪は、俺の命綱にはならなかった。
それに、あいつらが忘れている以上、何の意味もなかった。
正直、千早と静希が指輪を大切に持っててくれたのは嬉しかったんだけど、でもそれは・・・指輪が無くなっていない、ってことなんだよな。
そう言った意味では、あの指輪は俺と千早たちを繋いでくれたのかも知れないな。
でも・・・他の奴らには指輪のこと訊けなかった。
怖くて、さ。
もし捨てられていたら?って思うと・・・訊けなかったんだ」
その時の痛みを思い出し、祐一は目を閉じた。
「誓いの部分はさ。もっと単純。
<たとえ俺の存在が消えても、笑顔を守り抜く>
そんな、誓いの証なんだ」
そして目を開けて――宣言する。
「俺は今日・・・こいつらにもう一つめの意味を持たせる。
――絆。
もし、生まれ変わりとか、そんなんがあって。
そして赦されるなら、俺たちが巡り会うための」
意志を。
自分が三つの指輪に込めた、意志を。
「要らなきゃ、それはそれで構わないんだけどな」
祐一のその言葉は、すぐに断ち切られた。
「・・・要るよ。要る」
『祐一。その指輪、頂けますか?』
『祐一さん。私の分もあるんですか?』
つまり、それは――
幸耶も、更紗も、そして久遠も。
祐一を支えると決めたこと。
祐一に支えられることを望んだこと。
――絆を、求めたこと。
だから祐一は微笑って、指輪を渡していった。
更紗には
幸耶には
久遠には
千早や静希たちが持っている指輪とよく似たそれを。
そして、昔の様に言葉を紡いでいく。
「この指輪には、どんな願いでも一つだけ叶う、不思議な力があるんだ。
俺に出来ることなら、どんな願いでも叶う、そんな力が」
絆を結ぶための。
「もしも、自分の力だけじゃどうしようもないことがあれば――」
それは、誓いだった。
「この指輪を握りしめて、祈るんだ。俺に出来ることなら、叶えてやる」
やがて消えゆく者が、あり続ける者へ向けて手渡した誓い。
やがて消えゆく運命をはらんだ、儚い誓い。
「俺が、必ず叶えてやる」
しかし、その場にいる者全てが守られることを強く、強く祈った誓いだった。
「これで・・・準備は出来た」
―continuitus―
solvo Locus 06-10 "precatio novissimus"
moveo Locus 06-08 "causa refelte ridiculum"