Locus 07-01 "in principium/cerasus"
『やれやれ、だね』
7年前、祐一の存在が完全に崩壊する直前のこと。
その声は、響いた。
『そう簡単に消えて貰ったら困るんだけどね』
声の持ち主はまず、祐一の<心>を再構成した。
そして世界から認識されず、世界を認識しない<心>を自らの支配する空間に連れ帰り――そして、再構成が始まった。
最初にその世界から祐一の<心>が認識され、祐一の<心>はその世界を認識した。
すると<心>を核に、存在のための要素が集い、織り上げられ、祐一が再構成されていく。
その設計図となっているのは、この場所に刻まれた記憶。
消えたはずの祐一の存在を憶えている、この世界の記憶。
――アカシックレコード。
それは決して壊れることはなく、それは決して喪われることはない。
たとえアカシックレコードが存在するこの空間が壊れたとしても、アカシックレコードはそれすらも記録し、存在し続ける。
絶対なる矛盾を抱えた絶対なる情報体。
この場所では祐一の存在の消滅さえ記録された事項の一つに過ぎない。
故に、祐一はこの場所で再生することが出来た。
だが、その再生はあまりにも中途半端なもの。
この世界でしか存在出来ない、限定的な再生である。
「な・・・に・・・?」
祐一の目が捉えたのは、どこか見覚えのある空間だった。
そこは<彼>が支配する空間――いや、世界。
今の祐一には分かる。
ここは全ての世界のひな形。
根源世界と呼ばれる場所。
「・・・何故だ?」
再構成された理由を考える。
考えつくことはただ一つ。
<彼>の力。
それにより、祐一は復活した。
その<彼>の姿はどこにも見えないが、祐一は確信していた。
「・・・<彼>、か」
その呟きに答える様に、空が揺れた。
映し出されたのは、幾つもの世界。
この場所は全ての事象を見渡せる場所であるからだろうか。
不意に目を留めた空に映る別の世界は――妖たち世界だった。
祐一にとってはついさっき別れた、妖たちの集う世界が。
「・・・相馬。更紗。久遠さん」
呟き、意識を集中すると――その世界の全てが視えた。
だが、祐一が気にしていたのは妖の世界の中でもただ一カ所。
華音。
そう呼ばれた場所。
そこでは今、祭が執り行われていた。
例えば更紗。
更紗は相馬の笛の音に合わせ、舞っていた。
(まったく・・・何で私は舞っているのでしょう?)
そもそもは久遠の一言である。
『そうですね、私としては更紗に舞って頂きたいですね』
外見はぽんやりしているとはいえ妖の女王の一言である。
今年の花祭りの舞は更紗が舞うことと相成った。
時に鋭く、時に緩やかに、腕が、脚が、軌跡を描く。
揺れる髪は風に舞い、流れる衣は水の如く。
見ている妖たちは一様にほう、と息を漏らした。
さすがは竜族の姫よ、と。
(うう・・・その言い方、何だか重たくなってきましたね・・・)
つい、愚痴が漏れる。
(いっそのこと人界に逃げてしまいましょうか?
竜族の姫としての責務を果たすため、見聞を広めなければならない、とでも言えば何とかなるでしょう)
そうだ、そうしようと決めてしまえば、心は少し軽くなった。
そもそも文句は言っていたものの、踊ることは嫌いじゃないし、何より舞っていると寂しさが少しだけ癒えるのが嬉しい。
理由もない寂しさ。いや、喪失感と言った方が良いだろう。
何かが、足りない。
もしくは、誰かが足りない。
その何か、或いは誰かが分からないもどかしさ。
だが、なぜだろう。
いつもは舞っていても微かに感じる寂寥が今はない。
まるで、その、今はいない誰かが見守っているかのようか感覚。
だから、舞いが研ぎ澄まされていく。
――高みへ。
更に、高みへ。
心は身体にありながら、その眼はこの世界と異なる世界を映し出す。
綺麗な、世界だった。
夜明けの直前の様な、紫色に染まった空。
どこか寂寥感の漂う、世界。
そこで更紗はその存在を垣間見た。
何か大切なものを喪った、しかしどこか満足そうな瞳。
全てを憂う様な、全てを慈しむかの様な微かな笑み。
ドコカデ、
ワタシハ、
アナタニ、
デアッタ?
どくん。
鼓動が、高鳴る。
忘れてはいけないひと。
忘れてしまったひと。
その名前は・・・?
思い出せない。
いや、記憶自体が存在しない。
そのひとは自分を見ているが、自分にそのひとが見えていることには気付いていない。
つい、微かに、吐息の様な声が漏れた。
『あなたは・・・誰?』
だが、更紗の声に気付いたかの様にその存在が顔を動かし、そして視線が絡み合った瞬間――
更紗の心は元の世界にあった。
(・・・なんでしょうか、さっきのは)
その疑問が浮かんだのは一瞬。
もはや彼女にはあの世界の記憶はない。
微かな切なさを感じたまま、更紗は舞いに集中すべくそっと目を閉じた。
例えば久遠。
久遠は更紗の舞が終わると同時に席を離れ、巨木へと歩み寄った。
『・・・・・・』
黙ったまま、その幹に手を伸ばし、見上げる。
その樹は、巨大な桜だった。
人の世ではなく、妖の世界にあるからこそその桜はここまでの齢を重ね、高められた霊力が久遠を生んだ。
その根本に腰を下ろし、淡い紅を見上げて、呟く。
『こんな祭りのときは、そうでもないのですが・・・何か、最近退屈ですね』
薄紅の隙間から、夜明け前の紫と一つだけ星が見える。
明日からの事を思うと、何故か憂鬱になる。
『何故なんでしょうか。つい、先だってまではそうとも思いませんでしたが』
ぽつりと呟き、
『いったい、何故なんでしょうね?』
桜に問い掛けるが、答はない。
ごう、と風が鳴った。
桜の花弁は渦を巻き、やがてあり得ない記憶を呼び起こす。
その記憶が一瞬過ぎったのは、彼女の本体たる桜が根源世界に基を成すためなのだろうか。
微笑み。
優しく、辛いそれ。
涙。
忘れられない雫。
その人の顔。
・・・思い出せない。
思い出すことが出来ない。
記憶の欠片さえない。
ただ、漠然とした何かだけがある。
『これは・・・この人は・・・?』
いつか、どこかで聞いた声。
自分の名前を呼んでいる。
今は、どこにもいない誰かの声。
『教えてください・・・!』
アナタハ、ダレナノデスカ?
その言葉を声にすると、その人は振り返って。
そのひとの顔が見えた瞬間──
再び、風。
さらに、強く。
何かを押し流すように。
何かを消し去るように。
強い、風が吹いて桜が舞った。
舞い踊る花弁に目を閉じ、耐えて、目を開けて。
久遠が、感じたのは――掴み所のない、喪失感。
さっきまで、何かを感じていたのに今はもう感じることが出来ない。
しかし、それはいつも感じていたこと。
最近、ずっと感じていたこと。
きっとそうだ。そのはずだ。
そうでなければならない。
久遠は自分に言い聞かせ、立ち上がった。
何かを、忘れてしまった表情で。
『とにかく、この退屈をしのぐ方法です。んー・・・・・・』
考えて、考えて。
不意に、浮かんだ考え。
『いっそのこと人界に遊びに行っちゃいましょうか?』
久遠はうん、と頷いた。
どこにいても退屈ならば、ここよりは変化の大きい人界の方がまだましだろう。
『でも、理由はどうしましょうか・・・困りましたね』
更に考えて、考えて、なんとか良い言い訳はないかと悩んで・・・・結論。
『そうです!人に紛れて暮らす妖たちの姿を見たくなった、と言ってみましょう。
なにしろ私は妖の長です。これくらいは長の仕事の範疇だでしょう。いや、範疇です。今決めました私が決めました』
久遠はぽん、と手を打って、
『良い考えです。早速準備をしなければいけませんね』
嬉しそうに村へと走っていった。
妖達のそんな姿を見ながら、祐一は微笑っていた。
「元気で、いてくれてる・・・」
と。
嬉しかった。
彼女たちが元気でいるのが。
幼かったあの頃と、あまり変わっていないことに。
更紗は済ました顔で、いつも何か面白いことはないかと期待していた。
そして大人たちの考え付きもしないことをしでかして、慌てふためくさまを嬉しそうに見ていた。
久遠は妖の女王だというのに退屈なことは嫌だと言っては人界に良く抜け出していたそうだ。
それはちっとも変わってなくて、今も人界に遊びに行くべく画策している。
「はは・・・なんだか、残念だな」
自分が人界にいれば、また一緒に遊ぶことも出来たろうに。
だが、現実はどうだろう。
自分は抜け出すことの出来ない場所にいる。
だが、それ故に見守ることも出来る。
だから祐一は自分に言い聞かせた。
俺は側にいることは出来ないけど、見守ることが出来るじゃないか、と。
そう思えば、少し心が楽になった。
<この世界にある自分>を認めたため、祐一は更にこの世界との縁を深めていった。
まるで、この世界から生まれた存在の様に。
そして見える世界は広がって――見付けた。
いくつもの世界の中、求めたもう一つの世界。
そこは祐一が自身の存在を代償に奇跡を起こした世界。
それまでにかかった年月は、この根源世界では一瞬のことだったかも知れない。
7年だったかも知れないし、それ以上だったのかもしれない。
唯一つ言える事は、その世界では7年の年月が流れていたこと。
祐一が見知っている姿で彼女たちは怒り、泣き、笑っている。
そんな世界を見て──
「そっか・・・はは。笑ってるな、あいつら」
涙が、滲んだ。
「笑って、いてくれてるんだな・・・」
―continuitus―
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