praeteritum 03 "non facile polliceri"





「・・・本当に連れて行ってもいーんだろーか・・・?」





「ここだよ」
 幸耶に連れられて祐一が辿り着いたのは、やたら大きな屋敷の門だった。
「うお、純和風建築!」
「そりゃ、ねぇ・・・
 日本の妖なわけだし」
 幸耶は小さな咳一つ。
「祐一はちょっと黙っててね」
 告げて、門番に歩み寄った。
「幸耶に御座居ます。
 久遠様にお目通りを」
「うわ、なんだその言葉遣い!
 別人じゃないか!」
 祐一の感想に、幸耶は小さく、しかし鋭い声で。
「黙ってなさいって言ったでしょ!」
「叱られてしまった」
 祐一は少しきまりの悪そうな表情。
 門番はそんな二人に少し戸惑い、少し悩んだ後、しかしそれでも幸耶に尋ねた。
「もしやこの子供・・・人間ですか?」
 幸耶はやたら神妙な顔になり、やたら神妙な声を出した。
「ええ・・・
 その事で、久遠様に相談が御座居ます」
 その変わり様に祐一は、
(うわ、)
   「澄ましてやがるし」
「・・・聞こえてるわよ!」
「俺の心を読むな!」
「口に出てたわよっ!」
 そして拳の一閃。
「ぐあ・・・ぽんぽん殴るなよ・・・」
 抗議もしたが、幸耶に睨まれ、沈黙。
 門番は、と言えばやはり戸惑っている。
 戸惑い、同時に何かを堪えている表情。
「・・・それで。
 通して頂けるのでしょうか?」
「え?
 ・・・暫しお待ちを」
 待つこと30秒ほど。
 主からの指示があったのだろう、門番は微かに頷き、深呼吸一つ。
 告げた。
「・・・お通り下さい。
 主は裏手の庭に居ります故」
 同時に門は開かれ――その光景が祐一の目を奪った。
 石畳で作られた道。
 その両脇には玉砂利が敷き詰められている。
 無造作に、しかし計算し尽くされて置かれている石。
 そして、それらと調和している平屋の屋敷。
「うっわー。何が凄いな」
 興味津々の表情で周囲を見回す祐一に、
「・・・祐一。大人しくしてなさいよ」
 半眼で釘を刺して見るも、祐一は困ったような表情。
「約束は出来ないな」
「約束しなさいよ!」
 今にも噛み付きそうな幸耶の表情に、祐一はついつい
「うぐう」
 と鳴いた。
 聞き慣れない言葉。というか鳴き声に、幸耶は半眼で問い質す。
「・・・なにそれ」
 答えろコラ、と言わんばかりの視線にも、祐一は飄々とした態度を崩しはしない。
 にたり。
 嫌な笑いを浮かべて、ただこう答えた。
「ただのうぐうだ。気にするな」
「祐一と話してると頭が痛くなるわ・・・」
 こめかみを押さえた幸耶はそれでも祐一を置き去りにすることはなく、祐一の手をひいて案内していく。そうして二人は屋敷を大きく回り、やがて庭に辿り着いた。
 梅。
 連理。
 菩提樹。
 沙羅双樹。
 人界にも存在するもの、人界に存在しえないもの、様々な木々が植えられ、手入れの行き届いた大きな庭。
 その庭には目を閉じている女性が一人。
 年の頃は――外見だけを問うなら20歳前後。
 緑色の――比喩ではなく、森の色の髪を風に軽く揺らし、立っている。
 その女性は幸耶達の気配に気付き――
 否。
 幸耶達が庭に辿り着くのを待っていたかの様に――実際、その通りなのだが――目を開き、言葉を紡いだ。
「久しぶりですね、幸耶。
 彼が客、ですか――」
 祐一を見据える瞳の色は新緑。
 人では有り得ない瞳の色だ。
 その瞳に笑みを浮かべ、その女性は穏やかな声で告げた。
「はじめまして――私の名は久遠。この妖の華音の長、となります。
 そうですね。人界の言葉でいうなら・・・『樹精』でしょうか。
 迷い来た人の子よ。・・・貴方の名は?」
 祐一はその笑みに一瞬心を囚われた後、淀みなく、躊躇無く答えた。
「はじめまして。
 ・・・相沢祐一と申します」
 一礼。
 祐一のその仕草には優雅さすら漂っている。
 それこそ本当に同一人物なのか、という疑問を抱かざるを得ないほどに。
 幸耶は目を見開いた。
 なんたることだろう、この変化。
 いやさ、自分に対する態度とのこの格差は一体どこから来るのか?
 問いつめたい。いや問いつめねばなるまい!
 幸耶は引きつった笑みを浮かべながら、祐一を問い質した。
「ちょっと待ちなさいよ・・・なんでいきなり態度が変わるのよっ!」
「失礼だな。俺は礼儀正しい祐ちゃんってことで有名なんだぞ?」
「うわ、なんか凄いこと言ってるし!それじゃあたしに対するあの態度は何なのよっ!一応、あたしの方が年上なんだよ?」
「んー」
 祐一は暫し考え込み、人差し指を一本立てて、それはそれは厳かに宣った。
「面白いから?」
「ふざけんなぁっ!」
 紫電の如き足刀一閃。祐一は崩れ落ちた。
「ぐはぁ!?」
「ふー。これでよし」
「これでよし・・・じゃねぇだろ・・・」
「喧しいっ!面白いから、じゃないわよっ!」
 ええい腹が立つ、と幸耶は更にストンピング。
 結果。
 祐一・撃沈。
 幸耶は祐一を見下ろして、どーだ参ったか、と更に踏みつけようとして――
「あの・・・幸耶?」
「はっ!?」
 久遠の戸惑いの混じった呼び掛けに我を取り戻した。
「あのえと久遠様とりあえず先ほどのは見ていなかったことにして父様母様に黙っておいて頂けますと誠に有り難いのですが何というか何というかあうあうあうあうあう」
「幸耶。とりあえず落ち着きなさい」
 久遠に言われ、幸耶は深呼吸3回。
「で・・・祐一はどうやってこの世界に来たのでしょう?」
 ふぅ、と溜息を一つつき、真面目な顔で説明をした。
「掻い摘んで申しますと、このクソガキもとい人間の子供がこの世界に落ちてきましたのは、間違いとはいえ妖の手によるものです。
 つまり、『招かれた』ことになりますが、その妖が誰かも分からない、と言うのが現状です。即ち、庇護すべき者が居ないということになりますので・・・」
 その次の言葉を、幸耶は言い倦ねた。
 ――ともすれば、人間を敵視している者に傷を負わせられかねない――
 この世界に、そして妖に害を為すものであれば見捨てられるのだが、ここにいる――倒れているのは子供である。また、多少ならず人を食ったところはあるが悪意はない。見捨てるわけにはいかないだろう。
「・・・そうですね。
 それは避けねばなりません」
 久遠のその言葉に安堵しつつ、幸耶は本題を告げようとして。
「ですがその前に幸耶が命を奪ってしまいそうで怖いですね」
 つい呟いた。
 そこには何の他意もない。
 幸耶を脅そうとかそんな意志は欠片も見受けられない。
 故に、
「はう」
 冷や汗を垂らしつつ、幸耶は呻いた。
 久遠はそんな幸耶を怪訝そうに見つめた後、やはり穏やかな声で告げた。
「・・・つまり、その人間の子供――祐一をこの世界に『招いた』のが誰かが分かるまで面倒を見て欲しい、と言うことですね・・・」
 と同時に。
「うい、お世話になります」
 祐一、復活。
「あー!復活早すぎ!」
 寝てろコラー、と幸耶は間合いを詰めるが、
 祐一は背後に飛び退き、回避。
「避けるなー!」
「避けるって!」
「く、ちょこまかと!」
 繰り出される拳をひょいひょいと避けつつ、祐一。
「暴力反対!Love and PeaceだぞLove and Peace!
 心にいつも平穏を!愛を常にその胸に!」
 そして幸耶は、
「むしろあたしの心の平穏のためには・・・!」
 言葉を切り、覚悟しろやコラ、と眼で語る。
 祐一は肩をすくめフレンドリーに笑った。
「はっはっは、短気だなぁ」
「誰が怒らせてると思ってるのよぅ!」
 怒声を従え、瞬時に間合いを詰めて。
「殺れる・・・!」
 確信と共に正拳一撃。
 だが、手応えはない。
 気配を感じるのは右側。
 そちらに視線だけを動かす。
 ――いない。
 気配はあるのに、姿がない。
 妖狐の一族と言えば妖の中でもかなり上位の存在である。人間などは恐怖の対象にはなり得ないし、怖れるべき理由もないだろう。しかし幸耶は確かに恐怖を感じた。――殺られる。耐え難い恐怖に飛び退こうとしたところに、
「うりゃ」
 左側から現れた祐一に、煮干しを口に突っ込まれた。
 拍子抜けして、一気に気が緩んで――喚く。
「なにそれ!ちょっとなにそれー!」
 突っ込まれた煮干しを噛み砕き、飲み込んで抗議すれば、
「ははははは、まだまだ甘いな」
 ほらやっぱりカルシウムが足りないからだ食え食えと煮干しの袋を突き出してくる。
「うー、思い切り理不尽だよぅ・・・」
 ぜぇぜぇぜぇ。
 幸耶、半泣き。
 と、ここまで来てようやく久遠は口を開いた。
「ええと、幸耶・・・?」
「はっ?久遠様、申し訳ありません!」
 慌てふためく幸耶に、久遠は途切れ途切れに告げた。
「もう解りました、祐一がどんな子か・・・」
 目を逸らしつつ、肩を震わせながら。
 祐一はうわ、と感嘆。
「なんか俺ってば見抜かれてる!?」
「少し大人しくしてなさいよっ!!」
 久遠は何かに耐えるように、ゆっくり、ゆっくり言葉を紡いだ。
「なんと言いますか・・・個性的な子ですね」
 その言葉に、祐一は恐縮。
「む、お褒めに与り恐悦至極!
 今後ともこの道を邁進致す!」
「いや、絶対誉めてないから!
 っていうか黙ってなさいよ!」
「一応、誉めたつもりですよ?
 勿論何の他意も無いですよ?」
 目を逸らしたままの久遠の言葉に、幸耶は愕然とし、祐一は勝ち誇った。
「う、嘘でしょそんなこと?」
「ふ、ほれ見ろ俺の勝ちだ!」
 そのやりとりに久遠は俯き、耐えようとして――
「ははははは、正義は勝つのだ!」
「祐一のどこに正義があるのよぅ!」
「ああ、肝臓の右上5pあたりかな」
「何よそれ!」
「理性と感性の狭間、60pほど理性側でもいいぞ」
「ああもうわけ分かんないよぅ!」
 そのやりとりに耐えることが出来なかった。
「・・・祐一の滞在中の世話は・・・
 りゅ・・・竜皇に、お願いしておき・・・ます。
 心配は、要り・・・ませんからっ!」
 駆け出す。
 もう耐えきれない、と。
 それは見る者によってはあまりの怒りに立ち去ったように見えただろう。
 それを呆然と見送り、幸耶は半眼で祐一に告げた。
「絶対怒ってたわよあれ・・・」
「うーん。でもあれ、怒ってたんじゃないぞ。多分、な」
 しかし祐一はあまり気にした風ではない。それどころか楽しげですらある。
 そのことに微かな安堵と、それ以上の不安を覚え、幸耶は頭を抱えた。
「その根拠を聞きたいけど・・・そうね。
 本当に怒ってたら・・・有無を言わさず眠らされてたかも、ね。
 でも祐一、呑気にも程があるわよ・・・」
「いやぁ、それが俺のチャームポイントだし」
「なんでそこで照れるのよぅ・・・」
 幸耶は諦観の溜息一つ。
 しかし、いつまでこうしていても仕方がない。
 久遠のことである、竜皇には既に連絡が行っているだろう。
「ふぅ・・・祐一、付いてきて。
 竜皇様のお屋敷に向かうから」
 幸耶は祐一の手を引き、屋敷から辞した。





「なんだか不安になってくるよう・・・!」





―continuitus―

solvo praeteritum 04 "nec spectare,per jucundes"


moveo praeteritum 02 "ne capere cauda!"