五重塔や千畳閣がある「塔の岡」周辺の写真です

        

塔の岡にそびえる五重塔を、商店街の裏通りから撮影したものです。塔の岡は五重塔があることから、その名前がついたといわれます。

冬の曇り空で、少し逆光気味のため写真としては不本意なものです。いつか、もっとちゃんとした写真をアップするつもりですが、宮島で写真を写すときはほとんど逆光気味になってしまいます。

このあたりからのアングルは、観光のみで宮島に来られる方はあまり見られないかもしれませんね。
塔の岡の南側から見た五重塔です。手前には、茶屋があります。私は地元の出身ですから、島内の店に入ることはほとんどありませんが、ここの茶屋は雰囲気がいいというか、おもむきがあるというか、結構おすすめだと思います。

五重塔の向こうには、千畳閣の屋根が少し見えています。

塔の岡への登るには、主に4箇所のルートがあります。小高い丘ですから這い上がればどこからでも登れますし、たいして高いこともありませんから、ルートという大げさなものではありませんが、石段で登れるルートが4箇所あるということです。

小学生の頃には、普通に石段から登ることは5回のうち1回くらいしかありませんでした。子供というのは、道が無い所を行くのが好きなのでしょうね。
塔の岡の茶屋あたりから、厳島の合戦時の毛利軍の宮尾城(みやおじょう)があった、要害山(ようがいざん)を望んだ写真です。

ぱっと見て分かりづらいのですが、中央に森のように木が立っているところです。塔の岡と宮尾城址の間は、現在では民家や旅館がありますから多少見づらくなっていますが、当時はよく眺望できたのだと思います。

現在でも、ここから宮尾城址を見たときに人がいれば、その人がどのような動きをしているかよく分かります。
上の写真を撮影した場所の右には、このような案内板が立ててあります。毛利軍が厳島に上陸したと書いてある包が浦(つつみがうら)は、今では有名な海水浴場となっています。

毛利軍が未明に越えたとされる博奕尾(ばくちお)という尾根は、地元出身でありながら、どのあたりのことなのか知りません…

小学生の頃は、陶晴賢の軍勢が毛利軍よりはるかに大軍であったと聞いて、毛利元就よりも陶晴賢のほうが年寄りだと思っていました。